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約1年前まで、東洋バスには「岩戸」という印旛村の集落までの路線がありました。
私が東洋バスに興味を持った頃は、すでに岩戸までの本数は数本という状況で
なかなか乗車が難しい状態でしたが、それでも2005年と2006年廃止直前に乗
車出来たのは幸いでした。今回は2006年廃止直前の画像を紹介させていただ
きます。

IMGP1207.JPGIMGP1208.JPG












岩戸行き乗り場は勝田台駅北口の西側にある東洋バス案内所横でした。
近年運行開始した「もえぎ野車庫」の手書きっぷりがなんとも。微妙に工業団地の
「工業」部分も手書き臭がします。
画像はありませんが、案内所のプレハブといい、村上団地行き乗り場付近の看板
などこの乗り場周辺はいい味を出していました。

IMGP1178.JPGIMGP1179.JPG












まずは本数のある「もえぎ野車庫」行きに乗車。終点より「阿蘇橋」まで徒歩で向かっ
たのが上記画像。八千代市側の「阿宗橋」停留所予定地はまだ整備中でしたが、それ
ほど広くない折り返し場になるのではという印象を持ちました。かなり時間をつぶして岩
戸行きを待つことに。周囲はゆったりとした時間が流れており、時間をつぶすのが難し
いこと・・・。


IMGP1203.JPG









岩戸までは水田地帯・丘陵地帯を抜け、遠方に八千代市周辺の新興高層住宅地を眺
めることができる道を走っていきます。終点の岩戸はちょっとした集落で、コンビニ風な
酒屋があり時間をつぶすことが出来ました。wikipediaによれば岩戸は東洋バス発祥の
地ということですから、きっと昔はにぎやかな(もしくは政治的有力者がいた?)所だった
んでしょう。現在ではとても信じられないほど寂れた印象を持ちました。



岩戸停留所で帰りのバスを待つ間、道路はひっきりなしに車が行き交うのを見て岩戸には
それなりの交通流動があることに気づきました。この地にかつて阪東自動車も路線を持っ
ていたことからも、それなりの要所だったのかもしれません。しかしマイカーがこれだけ普
及した現状では、1時間に1本あるかないかの路線バスでは多様化した需要を満たすこと
は難しい状況になってしまったのは事実。印旛村からの補助金打ち切りで阿蘇橋~岩戸
間は2006年9月一杯で休止になりました。

阿宗橋まで存続したのは八千代市からの補助金は継続したため。確かに2005年乗車し
た際、八千代市内は途中にある小学校の下校時間と重なり、それまでガラガラだった車内
が児童で席が埋まるくらいの利用がありました。路線短縮後は乗車していないのではっきり
と言えませんが、ある種八千代市スクールバスとしての存続しているという状況ではないか
と思います。現在も岩戸まで休止のままなのか分かりませんが、おそらく復活する事は無い
でしょう。1度乗るくらいのマニアのノスタルジーで路線存続が出来ないことは分かっていま
すが、東洋バスの岩戸を含め味のあるバス路線がどんどん廃止になる状況は残念でなりま
せん。

 IMGP1194.JPG













岩戸降車専用ポール。なつかしいポールが残っていました。
印旛中学校行きの文字が泣けます。こういうのが残っていることがあるので、路線バス
の終点までの乗車旅(←大げさ)はやめられません。
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野球や乗り物の思い出など
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現在はバスがメイン。

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