細々と更新しています
ブログの更新が煮詰まってきたら、楽な方に流れる小生。というわけでバスに関する 書籍を買ったらブログに書くシリーズです。今回は9月に刊行された『バスラマスペシ ャル11 UDマークのバス達』です。 内容は、「太平洋戦争後、民生時代に始まる同社のバスの足跡をまとめるが、特に 1955年に登場するUDエンジンが象徴する、UDマークを付けたバスを中心にその 変遷をたどる 」ものとなっています。掲載写真も多く、国内で市販されたUDのバスモ デルをコンパクトに解説した読みやすい1冊です。 ここで小生手持ちのUDのバス画像を何枚か並べていきます。更新が楽な所以です。 社番:M79603.2008年12月に記録。 京王バス南エリア在住の小生からすれば、UDのバスは非常に身近な存在です。 特に7mサイズのRNは「京王帝都電鉄の要請に応じて開発された 」こともあり、1990 年代後半から2000年代は必ず見かける存在ともいえました。 車号:6-4477.2008年12月に記録。 RNに限らず、UDのバスは大口ユーザーの要望に沿ったモデルを開発・販売してきた印象。 西日本車体工業や富士重工業といったバスボディメーカーの存在が大きな理由ですが、 中型車幅の10.5mサイズ低床車も元は西鉄の要望に沿って共同開発したモデルです。 画像は横浜市交通局導入のJPで、全長10.1mの短尺ワンステップ車。 社番:385-50542R5.2012年5月に記録。 2002年に架装ボディを西日本車体工業に一本化を決定したことも、今思えばUDの バス事業撤退の端緒だったのかもしれません。当然ながら大型観光車も西工ボディと なりました。本文では「メーカーは「スタイル一新」を謳ったものの、むしろ退行した印象 であった 」と、珍しく辛口な表現をしています。 社番:375-51250R2。2012年5月に記録。 尿素SCRシステムを採用したことで、「平成16年規制(新短期規制)を飛び越し、平 成17年規制(新長期規制)へと適合 」させたUD。大型観光バスモデルはさらにATの みの設定と、かなり大胆なものとなりました。しかし製造実績を見る限り、市場からは 残念ながら評価を得られなかった模様。三菱ふそうからのOEM車であるスペースア ローAが併売されると「需要はOEM車で賄われていた 」とのこと。 29-80955JA.2012年5月に記録。 「東南アジアのバス製造拠点として、1991年、ニチメンなどとの共同出資でフィリピン に日産ディーゼルフィリピン(NDPC)を設立、ベルギーのコーチビルダー・ヨンケーレ 社から技術供与を受けてバスの製造を開始 」しました。このNDPCで製造のバスを1 996年から2000年まで日本に輸入販売したのが画像のJAとなります。 「比較的低廉な価格を商品力 」に、大口ユーザーの開拓も見られました。しかしウッデ ィな内装やドアの施錠にしても独特など、使い勝手がけして良いとは思えず。リピートオー ダーしたのは大口ユーザーくらいという感。 「NDPCはアジア通貨危機に起因する経済情勢の悪化によるフィリピンのバス需要激 減などにより、2001年末をもって解散 」したことから、近年のUDのバスのなかでも異色 な存在といえるのではないでしょうか。 車号:3-4003.2010年6月に記録。 ベルギー・ヨンケーレ社つながりで、2階建てバスも販売されました。「2階建てバス ボデー「モナコ」と3軸車RD620のエンジン・足回りを組み合わせた 」車両で、「JR の夜行都市間高速バスが需要の中心 」となりました。もちろん「眺望を重視する観光 路線車や貸切車にも採用 」されており、画像の車両も横浜市交通局で定期観光車 として導入。 それにしても、前号のバスラマスペシャル10が『西工の軌跡 九州から全国へ 唯一 の独立バスメーカーの誕生から終焉まで』で、2号続けて事業終焉をまとめた内容と いうところがなんとも言えず。それだけ国内バス事業の厳しさをあらわしているのかも しれません。なお、本文中の「斜字 」部分は同誌からの引用部分となります。 PR |
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Mrジョソ(名前変えたい)
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野球や乗り物の思い出など
ひっそりと更新の予定でしたが、 現在はバスがメイン。 覗いている方は少ない辺境ブログ。
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