細々と更新しています
バンクーバー冬季オリンピックも佳境となり、開催前のメダル予想ほどあてにならない提 灯記事はないことを実感。個別の競技についてとやかく書く前に、まずはブログの更新を していきま~す。 ということで沖縄で見たバスを並べる前に月末恒例、バス雑誌の感想という名の大言壮 語。偶数月はバスラマこと、『バスラマインターナショナル 118号』です。 まず、先日発表された西日本車体工業の解散について巻頭言などで報告があります。 西工のバスについて品質等問題がなかったとは言えませんが、ユーザーの要望を最大限 反映するバスを造ることが出来る最後のメーカーだっただけに、その解散の影響は計り知 れません。まずは第一報といった内容の記事ですので、次号以降に考察などあるのかもし れません。 社番:3903. 最近のユーザー提案のバスといえば「B型高速車」でしょうか。今では普通にメーカーライ ンナップされる中型幅の10.5m低床車も西工製のJMをストレッチさせて誕生したもの。 今後メーカーがどれだけ対応できるのか注目したいところですが、一定の需要があるMJ やCHなど7m観光車でさえ不採算等で再発売しない現状では難しいでしょう。 業者訪問は「京浜急行バスグループ」、事業者訪問としては京浜急行電鉄直営時代以来 15年ぶりの登場とのこと。京浜急行バスといえば電鉄直営時代から夜行高速バスのパイ オニア的存在として北へ南へと路線を展開していましたが、都市間ツアーバスの台頭もあ り縮小が続き、「従来のやり方の高速バスはそろそろ潮時という見方もできます 」と諦めに 似た発言も。路線エリアに羽田空港をもち、空港連絡バスやアクアラインバス堅調のため、 比べるとということなのかもしれません。 社番:Y1854.PKG-LV234L2(08年車)。 一般乗合車は現在エルガばかりとなりましたが、かつてはスーパーワイドドア車や現在標 準的な前中扉間ワンステップバスも当初「京急型」と呼ばれる仕様で、低床化や利用状況 にあった仕様をメーカーと共同して開発してきました。それだけに標準化の流れが強まった 現在の状況に不満もあるようです。2009年に東扇島線用の12mワンステップ車や藤沢方 面へのツーステップリムジン車など路線用途に応じた車両も在籍していますが、西工撤退 で標準化の流れは一層強くなるものと推測。大手事業者がどれだけユーザーの仕様にあ った車両を導入出来るか、購買力のある京浜急行バスグループの今後に注目です。 連載のリペアサービスの現場からは京急グループの「京急ファインテック」を取り上げており、 三崎など海岸部やノクターン号の塩カル対策など京浜急行バスの徹底したボディ再生を紹 介しています。 PR
先日京成バスより、新都心幕張線で運行中の連接バス車両の代替が公式発表されました。
拙ブログをマメにご覧頂いている方であれば既にご承知の話題を今更ですが、マリンスタジ アム観戦で10年近くお世話になった車両の惜別もあり記事にしたいと思います。 なお、型式・年式は『BJハンドブックシリーズR64 京成バス』(2008)BJエディターズを参 照しています。 社番:4812.KC-B10M(98年車)。 幕張本郷駅と海浜幕張駅を経由しマリンスタジアム間を結ぶ新都心幕張線に1998年12月 に朝夕ラッシュ時の混雑対策の切り札として日本国内の一般路線バスとして初めての連接 バスが走り始めました。まだバス事業が京成電鉄本体で行っていた頃です。車両はボルボの シャーシーに富士重工の7Eボディをベースとし、後の車両にはツーステップながら車椅子 スロープ板の装着が可能となるなどバリアフリーも意識した装備で運行開始にともない10両 導入されました。小生が現車を初めて見たのは1999年になってからで、その長さに圧倒、 連接部分のイスに座ってその構造に感心したことを覚えています。ちなみにボルボシャーシ ーに富士重工ボディの組み合わせは、1985年のつくば万博シャトルバスとして両製造され たものと同じです。この連接バスは1999年当時「年鑑バスラマ」にも掲載される販売モデル で、他都市への売り込みも行われたようです。しかし、需要の問題や運行に際しての様々な 許認可がネックとなり、さらにエンジン位置が前の車両の中央床下にあるため低床化が難し いこともあって京成以外の導入はありませんでした。 社番:4817.KC-B10M(98年車)。 他都市での導入事例はありませんでしたが、実験などで貸し出されて運行されたことはあり ます。なかでも金沢市内で運行された際は北陸鉄道のナンバー登録を受けるなど力の入っ たもの。その関係で画像の車両のみ習志野200かナンバーとなっています。 京成バスから車両代替の発表とあわせて現在運行中の車両(京成バスによれば旧型連接バ ス車両)の販売も告知されており、はたして移籍事例が見られるのかどうなるのか。つくば万 博シャトルバス用として製造された100両の多くはオーストラリアに輸出され、国内に残った のは東京空港交通へ移籍した少数にとどまりました。東京空港交通では当時のメイン路線で あった箱崎~成田空港間や成田空港ランプバスで活躍しました。この車両の一部がさらに旭 川電気軌道に冬季のラッシュ対策として移籍しましたが、結局もてあましたようです。 富士重工がバスボディ製造から既に撤退しており部品供給がどうなのか、それでなくても運 行に際しての煩雑な許認可が必要、と移籍に際してのハードルは極めて高いと思われます が、そのスペックを生かした活躍をしてほしいものです。 |
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ひっそりと更新の予定でしたが、 現在はバスがメイン。 覗いている方は少ない辺境ブログ。
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