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GWに九州で見たバス画像シリーズ。
今回は引き続き、宮交シティや宮崎駅前で見た宮崎交通のU規制以降のの9m車(いわ
ゆる中型車、10.5m車は除きます)画像を並べていきます。
なお、型式・年式は「宮崎交通所有車両全データ」『バスマガジン16号』(2006),
三推社/講談社を参照しました。

957









957r1









宮崎22か957.U-JM210GCN(92年車)
冷房化の推進などで90年頃まで積極的に車両導入を行ってきた宮崎交通。リゾート開発
への投資などもあってか、U規制車以降の代替導入台数は抑制傾向に。

1012









宮崎22か1012.U-JM210GCN(93年車)。
U規制車のUD中型車はJMメイン、ワンステップが評価されたのでしょう。
1993年は久々に貸切車を含め30台ちかく導入がありました。

1051r









宮崎22か1051.U-LR232J(94年車)。
いすゞLR。拙ブログ恒例のリヤ画像のみ。

1132









宮崎22か1132.KC-RM211GAN改(99年車)。
1996~98年は空港リムジン用途のRAを除き、純粋な一般乗合車両の導入は全くありま
せんでした。99年はKK規制との変更時期だったことも関係しKC規制車の一般乗合車はさ
らに少ない状況。ということで画像は99年に導入したKC規制車のうちの1台。西工ボディの
ノンステップ車。

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ネタ補給も無いため長く続いたGWに九州で見たバスシリーズも最終章に突入です。

宮交シティにて









今回は宮崎県全域に路線網を展開する宮崎交通のバス画像よせ集めです。
宮崎交通は1926年に設立された宮崎市街自動車を祖とし、県内に複数存在したバス
事業者・鉄道事業者を戦時統合の後押しもあって、1県1社体制となった事業者です。
これは創業者であり、「宮崎観光の父」ともいわれる岩切章太郎の力によるところが大
きいのでしょうが、以後宮崎県の発展とともに県内を代表する企業として事業規模を拡
大していきます。風向きが変わったのはレジャーの多様化により観光宮崎の地位が低
下していったことと、それを挽回するために県とともに進めた巨額のリゾート事業の負
債。2005年に自主再建を断念し、現在は産業再生機構の支援のもと設立された宮交
ホールディングスの傘下となり経営再建が進められています。

ということで、宮交シティや宮崎駅前で見た車両を並べていきますが、まずは在籍する
一般乗合車の半数を占めると思われる88年までに導入されたP規制の9m車(いわゆる
中型車)画像を並べていきます。
なお、型式・年式は「宮崎交通所有車両全データ」『バスマガジン16号』(2006),
三推社/講談社を参照しました。

530









宮崎22か530.K-RJ172BA(83年式)。
数年前までバスマガで言うところのネオクラシックバスが現役だった宮崎交通ですが、
現在の最古参はおそらく83年登録の車両と推測。ちなみに小生が見た最古参車は画
像の元祖1つ目レインボー。参考資料によればK規制車ですが、前面行先表示部が屋
根側に出っ張っていないP規制車同様のボディです。
GWに九州で見たバス画像のよせ集め。
長崎県交通局編その3では日野車と県外高速車画像を並べていきます。バスを扱う様々
なブログやサイト、投稿画像などを拝見しますと長崎県交通局ではここ数ヶ月に驚きの移
籍車導入がありました。分かっていればGWに行かなかったのに・・・。松江市交通局とい
い、結果論ですがまたもや早く出かけてしまったようです。
なお、型式・年式等についてですが、長崎県交通局はかつてバスラマの事業者訪問で取り
上げられたこともあるのですが、小生は持ち合わせていないので省略しています。
あらかじめ御了承願います。

3A16









3A16r1









局番:3A16.
同時期導入の三菱ふそう車は黒サッシでしたが日野車は銀サッシが標準だった模様。
無線中継所前へ行っていたこともあり、日野車でリヤ側を記録できたのはこの車両のみ
という体たらく。
GWに九州で見たバスの番外編。
コメントにも書きましたが、長崎では1日2本(平日)の終点まで乗車しました。

無線中継所









長崎自動車の「無線中継所前」にて。
無線中継所前は稲佐山から唐八景までの路線のうち、平日2本・日祝日1本のみという
運行本数。本数の少なさや無線中継所がどのような建築物なのか、どのくらいの需要が
あるのか気になり、バスの撮影もそこそこに夕方の最終バスに乗り込みました。
まさかこのような体制になるとは・・・。

バス事業の分社を巡ってここ数年労使間の対立が見られた相模鉄道。実際にストライキ
も起き、バス事業の分社化は凍結状態にありました。そこで相模鉄道は鉄道事業を分社
化するというコペルニクス的転換でこの問題を解決しました。冒頭の感想は、このニュー
スを知ったときの小生のつぶやきです。
鉄道事業を分社した相模鉄道本体は相鉄ホールディングスと改称し、字的に持株会社の
ようにも見えますが、バス事業も運営するという、なんとも複雑な存在となりました。

3551









3551r









社番:3551.
相鉄ホールディングスに変わったといっても、緑帯のカラーの車両に変化は見られず。
ちなみにこの車両は最近までラッピング広告車だった関係からか、後部側面にあるはずの
グループマークとロゴがありません。

3558









社番:3558.
ラッピング車もご覧の通り。

1257









社番:1257.
大型車もこんな感じ。
むしろ気になるのは、小豆色カラーの復刻旧塗装の車両なんですが・・・、求情報。


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Mrジョソ(名前変えたい)
性別:
男性
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むかし話
自己紹介:
野球や乗り物の思い出など
ひっそりと更新の予定でしたが、
現在はバスがメイン。

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