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前回の続きです。ミュージアムの展示車両です。

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入り口すぐにある500系。ステンレス飾りのついたタイプ。車内公開中でしたが、長い
こと放置状態だった?せいもあり、一部シートにはタオルがかけられ服の汚れを防止
していました。

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隣にはLEカー。個人的には味のある湘南窓1系や旧岳南も見たいところでしたが、解体
済み。ただこれだけの車両が残されていることは特筆すべきことには変わりありません。

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展示のメインは近江鉄道の誇る電気機関車。塗りなおされたようで非常にきれいでした。
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展示施設は車両基地のすぐ横ですので、留置車両もよく見えました。
上は500系、展示車両より程度はよさそう。下は凸型電機。かつては車庫奥に荒れ果て
た姿を晒していたものも塗りなおされていたのには驚きました。

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未改造の401系も留置中。さすがに痛んでいました。かつて西武新宿線の増結で401系を
見ていた者としては懐かしく思います。

近江鉄道ミュージアムは11月25日でいったん終了。ぜひとも来年以降の公開もお願いした
いものですが、「ひこにゃん」の継続的なPR次第でしょうか。
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11月の連休を使って、滋賀・京都・大阪と巡りましたが、そもそもの目的は今回紹介
する「近江鉄道ミュージアム」訪問が目的でした。これは彦根城400年を記念した企
画の一環として、彦根駅構内の一角に近江鉄道の所有する電気機関車や、廃車車
両の展示と資料館の鉄道展示施設で、11月25日までの期間限定の公開となってお
り、あわてて出かけました。

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彦根駅といえば、10年くらい前は車両基地とともに使っているんだか分からない車両
や、朽ち果てた車両が広い構内に置かれていることで有名でした。小生が近江鉄道を
訪ねた1999年の6月は、西武401系改造車の活躍が始まる頃で彦根駅構内には雑
多な車両のほかにやや色あせた改造待ちの西武の車両や、すでに四隅を切り取った
改造が終了したもののの数年間放置中の車両が並んでいました。大阪に行く機会は
何度かあり東海道線の車窓から眺めるたび気になってはいたのですが、乗車したのは
この時だけでした。

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1999年乗車時の八日市駅待ち合わせ時間に撮影したスナップ。
ちなみにこの時は米原から新幹線に乗って帰るスケジュール(←贅沢)でして、近江八
幡から米原まで乗車しました。6月時点では500系が主力で前面2枚ガラスの湘南型
1系も最後の活躍をしていました。

昔話はさておき、約8年ぶりに近江鉄道を訪ねました。ネットで情報だけは知っていまし
たが、再開発で近江鉄道の彦根駅構内は随分縮小され、跡地を整備している状況を実
際に目の当たりにすると、その変わりように大きく驚きました。
近江鉄道ミュージアムは新たに線路を引きなおしたと思われる車両基地構内の一番端
の一角にありました。

                                                  つづく

久しぶりに鉄道ネタ。
1999年に廃止となった蒲原鉄道には、1度乗車したことがありました。その後
縁あって新潟で勤めることになり廃線跡を訪ねた2002・2003年に写したもの
をご紹介したいと思います。
まあいつもどおりのヘボい画像ですが、自己満足ブログなのでご容赦を。


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冬鳥越駅跡には2両保存展示がされていました。保存されたばかりの頃でも
あり、状態は良かったですね。ただせっかく整備した木造車両を屋外展示、
しかも雪も多いこの地域でと考えると行く末が・・・。現状を報告するブログなど
あまり見ないだけに心配でなりません。

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冬鳥越で忘れてならないのが、バス廃車体利用のリフト小屋。
すでに使用されなくなって何年も経っているようでボロボロでした。せっかく
ここまで来てこの写真しか撮っていない自分に腹がたちます。

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村松駅はバスターミナル・本社併設の駅舎のみ残り、あとはきれいに整備されて
いて驚いた記憶があります。車庫があったところにはローソンが建てられていま
したが、裏にひっそりと・・・。保存というより放置といった様子で随分色あせが目
立ちます。後の車両(31だったか?)は現役時代に乗車した車両だけに寂しく思
いました。こちらも訪問後4年近く経ち、現在どうなっているのかが心配です。
今回は廃止前の乗車に間に合わなかった話を。
新潟交通の鉄道線は路線の末端部分を廃止し、併用軌道部分を廃止し必死の営業
をしていましたが、やはり東関屋での電車→バス乗換えが支持されなかったようで
残念ながら廃止されてしまいました。
 

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写真は2003年初頭に撮影。廃止後も月潟駅で保存されなかった車両は東関屋の駅
跡に保存するわけでもなく放置されていました。車両状態は車号やプレートなどが販
売されたのか切り取られており、解体されるわけでもなく、まさしく放置状態でした。

このまま保存公園のような形になればと淡い期待もしましたが、巨額の赤字を抱える
新潟交通がそんなことをするわけもなく、このあと早々に車両基地跡ともども解体されて
しまいました。
常北大田駅から鮎川駅へ向かいました。
大甕から鮎川にかけては、住宅地や工場といったところを走りました。こちらの方が
お客さんも多そうでしたが、2車線のしっかりした道路と併走しているところもあって
逆に存続が難しいのかもしれないと思いました。常磐線の線路沿いに鮎川駅はあり、
なんとも中途半端な所という印象。線路は駅から少し先まで延びており、ここにも
留置車両がありました。休日だったので使用していないのかと思いましたが、どうや
ら本当に使っていない様子。車両を入れ替えてからそれだけ乗客が減ったというこ
となのでしょうが、冷房もなければ汚らしい車両では正直地元のお客さんも乗らない
だろうと思いました。

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廃止前の2004年に以下の記述がある。
最低限の整備しかしていないので、塗装は剥げ落ち、窓に埃がこびりつくという状
態で走っている。また半数は休車状態である。
」川島令三(2004):『全国鉄道事情
大研究常磐篇』草思社,p248、2003年もまさにこの通りの状況でした。
日立電鉄は2005年3月にあっさりと廃止されてしまいました。廃止するために手入
れを全くしなかったのか、手入れが出来ないから廃止になったのか。廃止理由は後
者ですが実際のところはどうなのでしょうか。

前年に尋ねた十和田観光電鉄が大規模な車両の入れ替えを行ったことと対称的に
この頃から老朽化した施設を持つ鉄道路線は廃止という選択をするところが目立つ
ようになりました。そして私の「廃止前にあわてて未乗路線乗車」が増えていくことに
なりました。
                                          
                                            この項おわり


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